貧乏人が貧乏な理由 ベーシックインカム
poverty isn't a lack of character, it's a lack of cash
「貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠如」
このプレゼンテーションでスピーカーが伝えたいのは
「ベーシックインカムこそ、人類が幸せに生きる一番の方法」だということ。
その中で考えさせられた内容があるので、今回はそこを抜粋し紹介したい。
冒頭はこの問いかけから始まる。
Why do the poor make so many poor decisions?
「貧乏人はなぜ、貧しい決断をするのか?」
ここでいう貧しい決断とは、
・運動をしない
・体に悪いものばかり食べる
・勉強しない
・貯金をしない
・ギャンブルする
そんなところだ。
恐れずにきつい言い方をすれば、貧乏な人というのは努力をしないから貧乏。頭がよろしくないから貧乏だと考えられている。要は自己責任だと。
僕も「金がない、金がない」と会うたびに口にする友人や知人を見ていて、それは感じる。
彼らは実際金のなくなる選択をしているのだ。
そんな使い方では、金がなくなるのも当然だろう。それをわからない馬鹿だから、金がないと思っていた。
しかし、スピーカーは主張する。
「貧乏な状況にいることが貧乏な決断を生む」
この主張には目を丸くした。貧乏な状況が先にあるのか?その理由は何だろう。
まず、金がないと生活に余裕はない。
金がない人は働く時間も自ずと長くなり、時間がない。お金がないぶん、やることも多い。サービスに払うお金がないからだ。
お金があれば、食事を作らなくてもいい。洗濯機を買って手で服を洗う必要もなくなる。
そしてお金がないこと上記のことが重なってより精神的余裕がない状態になる。人間は不安定な精神状態では、正しい選択ができない。考える力も減り、より悪い誘惑に惹かれるようになる。
実際に、農家を対象に収穫前と収穫後のIQをテストした実験がある。
収穫前:今年はまだ収穫できるかわかっていない不安定な状態
と
収穫後:と今年の収入はある程度決まった安定した状態
のIQを測定した。
一人の同じ人間でなんと、なんと14%も差が見られたのである。
だからスピーカーは訴えるのだ。
ベーシックインカムで国民の最低限の生活は保証してあげるのがいいと。
僕らは、弱者に対してはいつも自己責任論で説明する。
「あなたが悪いのは、あなたのせいですよ。」
しかし、実際生きていて本当にそうなのかな?という場面によく出くわす。
会社で上司に怒られてばかりの後輩がいる。
成長したいというマインドがないし、コミュニケーション力も明らか欠如しているのだ。
だが、僕はこの後輩に対して、きつくお前が悪いとは言えない。
僕が何事にも成長したいと思えるのは、小さな頃からのちょっとした成功体験があるからだ。それはスポーツであったり、勉強であったり、周りに些細なことで褒めてくれる人たちがいた。そしてもっと頑張ろうと思えた。そうするうちに努力の醍醐味を覚えた。
コミュニケーション力だって、たまたま身についた。体育会系だったから、うまく生き延びるためには、先輩に好かれるほかなかったのだ。
人間、全ての選択を個人の意思でしているわけでない。それなのに全てを自己責任にする人が多いように思う。それだと生まれや育った環境で一生が決まってしまう。
今回で言うところの、貧乏になると、貧乏のループから抜け出せなくなる。
だからこそ、ベーシックインカムはだからこそ素晴らしい政策だと思うし、解決策になり得る。
ベーシック・インカムとは、basic(基本的)income(収入)つまり政府が性別、年齢に関わらず無条件で、すべての国民に生きるのに必要な最低限の金額を支給するという制度である。
最低限生活できるお金を保証されることで、貧乏だった人の心にも余裕が生まれる。
実際、僕らが努力できるのは、運がよかっただけだ。自分の力だけで努力しているなんて思わないほうがいい。育った環境のおかげだ。
世の中には努力することすら知らずに大人になった人がたくさんいる。
だから負の連鎖にいる人たちにも救いの手を差し伸べるのは普通のことなのではないか。(ベーシックインカムは税金で支払われる)
それともこの世界は運で全て決まってしまう、運ゲーでいいのか?
恵まれた環境にいる人は最大限活用し、世のために頑張る。還元する。僕はそんな世界を望んでいる。
人生が運ゲーだと認めるのは嫌だ。
Lose yourself.