日記は最強のライフハックツールだ。
皆さんは日記を書く習慣はあるだろうか。
夏休みの小学生じゃあるまいし、ほとんどの人はないと思う。
僕は今年の正月に毎日書くと決めたが、情けないことに毎日は書けていない。
それでも、何かあった時は必ず日記を書くようにしている。
特にそれは、悩んだときだ。
悩みにも様々な悩みがある。
日々の小さな悩みで言えば、上司と意見が合わなかった、好きな子にフラれた、といったようなところから、これからの人生をどうしようかといった少し大きな考え事をしている時も日記を書く。
多くの人にとって日記を書くなんという行為なんて馴染みがないと思う。
日記?と鼻で笑われるかもしれない。
正確には小学生の頃に書いたような日記ではないんだ。先生のために今日起こった出来事をずらずらと並べる茶番とはわけが違う。
僕が書く日記とは、ひたすら思ったことを書き殴る作業のことだ。
思う存分に、そこには感情も強く記す。
「まじ、ムカつく!」
「氏ね!」
「ぜってーぶっ潰す」
このような言葉もしばし飛び交う。(僕の育ちの悪さが伺える)
誰しも、人に言えないことを抱えている。
僕も人前では強く振舞ってしまう。だから、あまり人前で弱音を履くことができない。
でも、日記はそれを受け入れてくれる。
「俺はもうダメかもしれない」
「もう全てを終わりにしたい」
「とても悲しい。泣きたい」
日記を書くときはいつもマイナスな言葉ばかりだ。
ひどく悔しい思いや悲しい思いをしたときには是非書き殴ってほしい。ここでは、アウトレイジのような言葉遣いもOKだ。
感情を文字にするという作業は、想像できないほど効果がある。
それは感情を言語化するからだ。
僕らが、不安や怒りを抱えている時というのは、案外アバウトなもので、ただそこにモヤモヤとした感覚があるだけ。感情に流されている。ほとんどの場合、思考ができていない。結果として、自分もことを俯瞰して見ることができない。
大切なのは、自分で感情を客観視してやることだ。
感情を客観視するためのツールとして、簡単なのが日記である。感情を言語化、感情に文字を与えてやることで、自分を客観視することができるのだ。
これはなんだっていい。
多くの人が、生活の中で自分が感じている小さなモヤモヤを、無視して生きている。
そいつを発見してやろう。発見してやるだけでも楽になる。
もしかすると、問題がはっきりして解決策が思いつくかもしれない。
「もっとのんびりしたい」
「怠けたい」
「会社にいきたくない」
なんだっていいのだ、自分が感じている憂鬱を日記に書こう。
注意点としては、この日記は誰にも見られないようにすることだ。少しでも読み手を意識すると、本音が隠れてしまう。それでは意味がない。
日記を書けば不思議なことに気持ちがスーッと落ち着く。こればっかりはやってみないとわからない。
三行でいいから、今日から日記を書こう。
日記は様々なことを自分に教えてくれる。
Lose yourself.