LoseYourSelf

低学歴。非モテ。俺たちの逆転劇はここから始まる。英語と読書、恋愛、そして人生を。

成人(大人)としての条件

成人の日。

全国各地で20歳の子らが、成人としての抱負を晴れやかに語っている。

 

 

「成人として〜」

「社会人として〜」

さすが日本の学校教育。全員が全員、同じことを言うことができ、お偉いじじい(老害)どもを笑顔にさせることができている。

 

しかし、残念ながら、「大人」は20歳になった瞬間手に入る資格ではない。

 

そんな風に思ったので本記事を書くことにした。

 

 

 

そもそも、僕は成人になったという表現があまり好きではない。

そもそも成人とはなんなのだ。

 

「今日から成人として〜」

 

揃いも揃ってみんなが言うこのセリフはすごく気に入らない。

 

 

「今日から成人」

 

成人の日迎えて、昨日の自分とは何か変わるのだろうか?

決して何か変わることはない。

変わるとすれば一時のテンションで語る抱負くらいだろう。

 

「社会人としての自覚」

そんなことを意識して生きている奴がいたら是非教えて欲しい。

 

 

 

僕はこれまで、いわゆる「成人」と呼ばれる大人たちの中でもでもクズみたいな人をたくさん見てきた一方で、中学生くらいから大人みたいな人もいる。

 

残念ながら成人式を終えたごときで、成人たちを(僕も含めて)大人と認めることはできない。

 

では、何が大人と子供を分けるものは何か。

 

 

僕は、前から感じていた違和感を元に大人と子供を分ける物差しを考えた。

 

それは、すばり

「感情に流されるかどうか」

だ。

 

子供を想像してみてほしい。

子供は自分の感情にのみ従う。

自分にとって気持ちの良いことは善、悪いことは悪。

 

思うようにいかないことがあれば、感情を発散し(泣く)、周りの人間をコントロール(欲しいものを買ってもらう)しようとする。

 

 

大人は違う。

基本、普段の生活するのかで、人生の大半は思い通りにならないことを知っている。

世の中の人を感情的にコントロールしようとしても、それは無理であり、人はそんな風には動かない。

だから、感情的になっても意味がないということを知っている。学習している。

 

 

怒りや悲しみを自分で整理し、冷静に論理的な方法で、目の前の状況に臨む。

これが大人だ。

 

 

まあこれはすごく難しいことではあると思う。

大人でも、何か揉め事があるとすぐにキャンキャンと言い合いになるケースは多い。

(まるで子供の言い合いだ)

 そんなに声をあげても意味はないのに。

むしろ感情的になることは不利にはたらくケースが多い。

 

 

口論に限った話ではない。

 

 

乗り越えられそうにない壁にぶち当たった時。

それを周りのせいにして酒を飲みながら愚痴るだけでは子供だ。

愚痴りつつも、愚痴った後は、しっかりと目の前の課題に向き合う。

 

自分がやるべきことは何か。

その姿勢が僕は大人だと思う。

 

 

「ママに助けを求めていないか?」

これを指標にするといい。

 

 

自分からママに

「こういう時はどうすればいい?」

とアドバイスをこうのはありだ。

 

 

でも泣いてたかって(不幸を演じて)ママを呼ぼうをするのは子供だ。

 

 

社会人としてのマナーとか、そういうものは「大人かどうか」という判断でさほど重要でない。

そんなものは中学生だって身につけらる。

 

自立・自律した態度こそが、大人に求めらる条件だ。