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低学歴。非モテ。俺たちの逆転劇はここから始まる。英語と読書、恋愛、そして人生を。

あなたが生きている虚構。世間と価値観が合わない人へ -サピエンス全史感想-

サピエンス全史があまりに面白かったので、今度は原著で読み直している。忘れていたことや見落としていたことがちらほらあった。

気づきをメモするつもりで書いて生きたいと思う。

 

今回、再認識したのは僕らは想像以上に「虚構」を信じて生きているということだ。

原著ではmyth,fiction,mysteryという言葉が使われているが、本記事では総じて虚構という言葉で扱いたいと思う。

 

虚構と耳にして思いつくものはなんだろうか。

 

普通に生活していれば、虚構という言葉を聞くことなんてないし、考えることなんてもっとないだろう。

一回、この虚構という概念を友達に説明してみたのだけれど、納得は得られなかった。(僕の説明力がどうかは置いておく)

 

実は当たり前すぎて気づかないほど、僕らの周りには虚構が存在している。

(虚構が存在しているって面白い笑)

 

お金、法律、国家、会社。

これらは全て虚構だ。信じられないかもしれないが、虚構なのだ。

 

虚構というのは、そのものの本来の価値に関わらず、みんながそれを信じた時に作られる。

 

お金を例にとってみよう。

お金自体に価値はない。10円玉も1万円札も食えないし、武器にもできない。

チンパンジーに1万円札を渡しても一瞬で破られて終わりだ。

僕らの世界で1万円冊が価値があるのは、「お金」という虚構をみんなが信仰しているからだ。

 

法律もそうだ。触ることも食べることもできない。そもそもみたこともない。

でも、みんなが「法律」という虚構を信じているから、それは効果をなす。

 

国家も虚構だ。実際、国と国の間に境界線なんて引いていない。みんながここまでは「国」というふうに決め、それを信じているから国ができる。

国は地球が決めたものではない。人が勝手に土地を線引きし、そこを「国」と信じているだけだ。

 

 

このように僕らは、実在しないものや本来価値のないものを、あたかも実在したり価値があるかのように扱ってきた。

ただ、この虚構があったおかげで、人類はここまで発展できたと言われている。

虚構があるおかげで、見知らぬ人とも協力することができる。同じ虚構を信じていれば、仲間だと判断することができる。

チンパンジーは、この虚構を信じることができない。目の前にないもの想像したり、考えたりすることができないのだ。

 

人はそれができるから、一つの虚構のもと、千人、一万人といった集団を成すことができた。

 

 

というのが虚構についてのざっとした説明だ。

 

では、僕らの身の回りにある、ちょっとした虚構についても考えていきたい。

 

僕が特に共感を覚えたのは、現代はマテリアリズム、ロマンティズムによる虚構が強いということだ。

 

誰だか知らねえが、

 

「幸せな人生とは、お金をたくさん稼ぐこと。休日は買い物に行っていい商品を買うこと。一年のうちには、まとまった長期休暇をとって、スキーに行ったり、海外旅行に行ったりすること。

海外旅行のような、自分の知らない世界を経験することは素晴らしいことであり、新しい自分に出会わせてくれる。

人生は素晴らしい未知の体験をたくさんすることが大切」

 

こんな感じに謳ってきやがる。

 

ほんとに吐き気がする。

 

 

これ自体がすでに虚構なのだ。

別に僕は海外旅行を否定したいわけではない。

この本を読むまで僕自身、人生というものはいかに新しい経験をするかが大切だと思い込んでいた。そして多くの人の楽しみが、スキーや旅行であるように、それが人生の楽しみなんだと思っていた。

 

 

 

でも考えてほしい。

人生はそんなに新しい経験や、エキサイティングなことをしないとダメなのか?

僕は好奇心がわり旺盛な方なので、新しいことが好きだ。

でも、昨今感じるのは、「知らない場所、知らない人に会うことが大切。人生は未知な体験にチャレンジして、新しい自分に出会わなければならない

といった「幸せのモデル」を押し付けてくるのを強く感じる。

 

別に海外旅行じゃなくてもだ。

いい車、いい家、いい家族、そして充実した休日。

 

それらが幸せな人生と思い込んでいる人が多すぎる。

 

多くの人が、どっかの誰かが決めた「幸せのモデル」という虚構を追わされている。

 

 

長い人類史上、「長いホリデイをとって海外にバカンスに行く」という娯楽を覚えたのはここ最近の話だ。

古代ピラミッドの王も、秦国の王も長期休暇で遠くにいくなんてことはしていない。

(彼らはでかい墓を立てることが幸せだと思っていた)

だからこれらは別に人間の本能的な幸せではないのだ。

 

僕らが信じている「幸せな人生」

それは主に、広告会社やメディアが作り上げたもの(虚構)が多い。

 

まあ、その人の問題なのだからそんな虚構に従って生きるのも全然ありだと思う。

 ある種、そっちのほうが幸せなのかもしれない。

 

しかし、僕が言いたいのは、それらを虚構と知ることで救われる人もいる。

現に僕が救われた。

 

 

僕の休日の過ごし方は、世間が想像する「充実した休日」とはかなり程遠い。

大抵は、図書館で勉強しているか、部屋にこもって本を読んでいる。

あとはアマゾンプライムで映画をちらほら。

 

これは僕が好きでやっている。

でも、これを人前で言うと「つまんねえやつ」と思われる。

だからあまり言わないようにしている。(勤め人をしていて、つまんねえやつと思われて得なことはあまりない。)

特に初対面の自己紹介や、上司との雑談で、趣味や休日の話はすごい億劫に感じる。

 

キャラを誤解される。オタクと言うか、ガリ勉なキャラと思われる。普段、全くもってそんなキャラでない僕は、そう言うことを言うと話がややこしくなる。

まあめんどくさいのだ。

 

あとほとんどの人にとって、読書とか、勉強はありえないみたいだ。

「せっかくの休日に勉強とかアホなの?」

と言わんばかりの表情である。

 

そんなの無視しておけばいいのだが、「休日充実してた?」と言う聞き方をされると、実際、以前まで少し辛い思いをしていた。

『へいへい、あなたが言う「充実」はしてませんでしたよ』

どこか拗ねていた部分もある。

世間の言う「幸せな人生」にそぐわないから、「自分は本当に幸せなんだろうか。」と疑っていたりもした。

周りにそんな人がいなかったから、自信もなかった。

心の中だけとはいえ、異端でいることは辛かった。

 

 

世間の言う生き方をトライしていた時期もある。運動は苦手でないので、スノボーやゴルフもやったし、カラオケや映画を趣味にしようとしたりもした。

 

でも、どれも全然面白くないのである。

一年に何度かならいいかもしれないが、僕は人生をかけてやりたいとは一つも思わない。

 

旅行とかも行きたいけれど、なんか一定期間を旅行のためという目標を持って働く同僚とか見てて信じられなかった。

「そんなに旅行いきたい?」

ずっとそう思っていた。

 

 

しかし、今は自信をもって言える。

世間が善としているものに振り回される必要はない。多くのもは誰かが作り上げた虚構だ。所詮虚構である以上、その虚構が世の中の全てではない。

その虚構を信じる人にとって、それが初めて大きな価値観となる。

 

しかし、ここで注意したいのは、自分の価値観に合わないやつをみて

「虚構に踊らされてバカだな」

と嘲笑するのはよろしくない。

 

人は皆、虚構を生きている。どの虚構を生きるかの問題だ。

あなたからすればバカだと思える虚構も、その人が(たとえ虚構だと気づいてなかったとしても)幸せを感じているのならそれでいい。

 

皮肉なことに、現実を捻じ曲げ、虚構に盲目的な人の方が幸せそうに見える人は多い。

 

だが、あなたはあなたの信じた道を進めばいい。

素晴らしいことに、なにを信じるかは自分で選ぶことができる。

 

だから、僕らは自分がマジョリティとは違うからといって気にやむ必要はない。

親や先生、テレビがいってくることは虚構だ。

 

自分の信念でさえも、誰かの影響を受けた虚構だ。

 

だからこそ、どうせ虚構を生きるのなら、自分の好きな虚構を選択したらいい。

 

 

 

Lose yourself.