LoseYourSelf

低学歴。非モテ。俺たちの逆転劇はここから始まる。英語と読書、恋愛、そして人生を。

成功者を追いかけても不幸が待っている -本田圭佑 カフェサバイブを観て思うこと-

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あなたが尊敬する人物は誰だろうか。

僕は本田圭佑だ。

彼の物事に対する捉え方にはいつも驚かされる。簡単に言えば「ポジティブ」とか「プラス思考」といった類のものだが、そんな沙汰ではない。

僕は上手くいかずダメになりそうな時は、いつも本田の「プロフェッショナル仕事の流儀」を観て勇気をもらってきた。

 

先日、アマゾンがプライムビデオで本田の番組を制作することを知り、とても楽しみにしていた。

番組の内容は、幅広い分野からビジネスパーソンをお呼びし、本田とマンツーマンで対談するといったものであった。

 

第5話まで観させていただいた。

率直な感想として、今後もう観ることはないだろう。

特に第5話を観てそう思った。

 

本田と若い起業家が、これからお互いのビジネスや夢について語り合うのだが、とてもついていける内容ではなかった。

「社会貢献」

「世界を変える」

「恵まれない人たちのために」

 

ここまでは成功者がよく言うことなのでいつものように聞いていた。

ところが、

 

「今の日本人の起業家は、自分のお金のために働いている人がまだまだ多い。もっと世界を変えてやろうといった人が出てこないと日本はやばい」

 

この考えにはとてもじゃないが賛同できなかった。それは僕が凡人だからなのか。

終始彼らの話を聞いていて、僕とは違う世界に住んでいるように感じた。

ちなみに、スポーツをやっていた頃は本田のことを別世界の住人と感じたことは一度もなかった。いつも参考にさせてもらっていたし、恐縮ながら勝手に張り合っていた。

 

しかし今回思ったのは、僕ら凡人のことの視点が一切ない。

これまで僕だったら

「本田がこう言っている!俺も負けてられない!」

と躍起になっていたと思う。

しかし僕も変わったのか、平凡な人間として、平凡な人に囲まれて生きる僕にとって、人生は夢を追うことが全てではないと思うようになった。

 

なんだか、

「みんなに押し付けんなよ。みんもそれぞれ頑張ってんだよ」

という気持ちになった。

 

 

 

冷静に考えてみるとアスリート(を目指していた)時代の僕は、本田を含めた「世の中でトップを走る人たち」を崇拝し過ぎていた。

 「幸せは成功にのみある」

「成功こそが全て」

ずっと成功者の言っていることが全てだと思い込んでいた。

 

夢を追いかけていない友達、会社で安定を求めてのんきに働いているおっさん、家でダラダラとテレビばかり観ている家族を

「所詮成功しなかった人たち」と下に見ていた。

 

成功者ばかりを追いかけ、自分を比べては「まだまだ足りない」と現実の自分に失望し、焦り、自己嫌悪になることが多かった。

 

得てして僕は勝手に不幸を味わっていた。

上には必ず上がいる。

そんな勝負の世界では、「現状に満足しないこと」が美徳とされている。

僕も「今の自分はまだまだ」と思うことが成長への一番の近道だと思っていた。

実際、一流のプレーヤーと比べると自分はまだまだだった。

 

でも、僕は必要以上に「自分はまだまだダメだ」と思いこんでいた。人から見れば喜べばいいのに、勝手に不幸になっていた。

「自分はまだまだ」と思う人に、まだまだな人はあまりいない。勝手に苦しんでいる人が多い。

この思考は、自分を比べる指標を他者に依存している。自分よりも上の他者というのは、永遠に存在する。だから成長しても、自分と比較しちっとも喜べなくなる。

 

そもそも野球をやる喜びは、プロ野球選手になることじゃなく、昨日できなかったことができるようになることにある。

自分ができなかったプレーができるようになった時は素直に喜べばいい。それは、周りからすれば「出来て当たり前のプレー」だったとしてもだ。

大切なのは昨日の自分と比べることであり、自分が決めた目標を達成することだ。

 

 

僕はこういう喜びを、存分に味わうことなく育ってきた。

昨日の自分より成長したとしても、他者が期待するレベル(プロとか全国とか)でなければ自分はクソだった思っていた。正直言うと、ずっと競技が楽しくなかった。

人よりも高いパフォーマンスであっても、人生の満足度はずっと低いものであった。

 

 

 

僕らは、上を見上げることで、感じる必要のない不幸を感じている。

僕の今の生活はいたって幸せなはずだ。それなりの給料をいただいているし、会社の同僚にも恵まれている。プライベートでは友達もいる。

 

でも、世界のトップのような上を見上げると、「俺の人生これでいいんだろうか?」と感じてしまう。

 

はっきり言って今のグローバルな時代に、トップを走ることは不可能なんだ。僕より野球が上手い人なんて死ぬほどいるし、勉強ができる人も死ぬほどいる。

「これからの時代はITだ!」なんて聞いてプログラミングを学んでも、すでにトップに立つことはできない。成功を求めて、無理やり何か始めてもトップに立つことはできない。そして、幸せになることもできない。

 

それは他人が決めた幸せを生きているからだ。

それでは、一生幸せにならない。

例えば、世間が求めるものといえば

 

「これからは英語は当たり前のスキル」

「これからはプログラミングの時代」

「日本の大学は意味がない。海外の大学に行くべき」

 

こんなものを求めて走っても、キリがないから全てを掴むのは無理なのである。

英語を身につけたとしても、世間は次はプログラミングを求める。できた方がいいことなんて山のようにある。

 

自分を知らないと、際限のない努力が待っている。まさしくラットレースだ。

 

僕はずっとこのことに気づかないで生きてきた。

自分にとっての幸せを考えずに、とりあえず「人から一番幸せそうに思われているもの」を追いかけようとしていた。他人の指標である。

他人の指標にはキリがない。大学は東大、ハーバード、MIT、就職先は外資系証券、総合商社、広告代理店が最大として求められる。

そこを目指すのは無理だ。

 

大切なのは、他人が求める(決める)ことを頑張るのではなく、自分の中で満足を決めることだ。これならキリがある。

 

僕は本田のように「世界を変えたい」なんて思っていない。

俺は単純に副業で10万を稼げて、可愛い彼女がいて、将来は独立できればそれは最高に満足だ。

 

これを決めてから、少しの成長が満足できるようになった。目標が無理難題ではないので、達成に近づいているの感覚もある。何より、プロセスを楽しめている。

プロセスを楽しめずに成功はない。

と言うより、プロセスを楽しめていること自体がもはや成功だ。

そんな奴は勝手に成功する。

 

 

野心家の方はそんな小さな満足は嫌だ言うだろう。

でも、世の中の人は皆、小さな満足で十分なんだよ。野心家から見れば小さいかもしれないが、その人にとって見れば大事なことなんだ。

満足は人それぞれ違う。

社会貢献のような高尚な目標を掲げてもらっても構わないが、僕らはまず、自分の満足を追いかけるべきだと思う。

 

だから、テレビやインターネットに登場するすごい人たちを見て、惑わされる必要はない。自分と比べて不幸や惨めさを感じる必要もない。

 

みんなそれぞれの人生を生きているのだから。

今目の前にあることを頑張ればいい。それはあなたがとってのワールドカップなんだ。

その世界でのワールドカップに満足できなくなったら、上のステージにいけばいい。

 

 

Lose yourself.