機会費用という考え方
最近読んだ経済ほ本の中に「機会費用」という言葉がでてきた。
Wikiより
もともとは経済の言葉?らしいのだがこれは人生においても十分役に立つ考え方だ。
というより、考え方としてはっきりさせていたわけではないがこのような考え方を無意識の内していた。
簡単に言ってしまえば、
「選択」
ということである。
例えば大学にいった人と高卒ですぐに働いた人を比べ、高卒の人を年収200万するとその四年間で800万稼ぐ。
この大学に行った人は、この800万を機会費用として捨てている。
だが大学を卒業している。ん
このような例は人生の重要な岐路の場合であって、僕はもっと身近にもたくさん存在していると思う。
大げさに言えば、私が幼い頃からゲーム・漫画・アニメ等に結構な時間を費やしてきた。モンスターハンターだけでも1000時間は超えるし、ポケモンは約300時間。ゲーマーの方からすれば鼻で笑われるかもしれないが、膨大の時間である。
この選択をしたことによって我々が失った機会費用は、
「東大にいけなくなった」
であろう。笑
この頃は本当に何にも考えてなかった。
と言えど私はそれらの時間に後悔はしていない。それはそれで良かったのだ。
ただ、これからもそういう風に過ごしていくのは嫌だ。もうあの頃のように毎日遊んだり、ゲームしたりしていても全く楽しくない。それなら何か身に付けたいという欲がある。
だから、最近は
「いまこの時間って無駄じゃね?」
と自分に問いかけている。
決して私は自分の体にムチ打って苦しい思いをしてやっているわけではない。こっちのほうが、なんか楽しいのだ。
誤解されたくないので言っておくが私は
「24時間フルに学べ!」
と言うつもりはない。ゆっくり風呂に入る時もあれば、何も考えずにボーッとすることもある。
毎日無意識に行っている無駄な習慣を見直そうと言いたいのだ。
大して面白い番組でもないのに見る。何の目的もなしにとりあえず、スマホをいじる。
そんなのは御免だ。
そういう意味でも、今気づけたのは大きい。これからの時間の使い方をどうするかだ。
そして、最近はその何を選択するかに少し迷っている。今俺はこれをやっていて正解なのだろうか?もしかしたら、もっとこれから役に立つ知識・教養を学んだ方がいいんじゃないだろうか?
何かに頑張っていることは変わりない。しかし、プロ野球選手を目指すということは、東大を諦めるということだ。
極端な例ではあるがそんなことを考えている。もちろん、正解、不正解を探そうとするな。自分の好きなことをやったほうが絶対にいいはず。
幸い俺はまだ若い。(誰だって現時点で若いと私は考えています)
話を戻すと、ようは目先の快楽ばかりにとらわれずやりたいことをやれという話である。
目先の快楽が本当にやりたいことなのかは自分に問いただしてみればいい。