LoseYourSelf

低学歴。非モテ。俺たちの逆転劇はここから始まる。英語と読書、恋愛、そして人生を。

飯を奢る人間としての器量

とうとう学生生活最後のロングバケーションも1ヶ月を切り、残すところあと19日となった。
あと19日か…泣きたい。


さて、本題に入る。
私は部活を引退してからバイトを始めた。約3〜4ヶ月バイトをしたので、それなりのお金を手にすることができた。お金を手にしたがいいが、そこまで物欲が旺盛でない私は、あまりお金が減らない。

欲しいものといえば、本、服(ファストファッション中心)、考えてみてもそれくらいしか思いつかない。

遊びに行くと言っても、この辺は田舎。カラオケか漫画喫茶かイオンで映画しかない。


なんだかんだで結構お金を持て余してこの時期に至ってしまったのである。お金はあるにはこしたことはないのだが、お金を使わないのもこれまたどうなのかと最近考えている。

基本あるものは使う、使わないものは回していくと考えている私は、お金も使ってナンボだと考えている。もっとも無駄遣いをする気も毛頭ない。


そこで、最近の使い道としてはまっている?のが

「他人に奢る」

ことだ。
自分のためにそんなに使うことがないのなら、他人のために使おうと考えたのである。誤解を解くために言っておくが、私は決していい人になりたくてやっているわけではない。

ただ、根底に所有したり、溜め込むことはダサいというものがなぜかある。


基本的に奢る対象は、これまでバイトをしておらず親からのお小遣いのみで生活する同級生・後輩である。

彼らは今の時期まで受験や部活を頑張っていた。これは仕方ない。奢るに値する理由である。


実際に奢ることをしてみるとやはりいくつか思うことがある。


なぜだか奢った後に後悔のような気持ちが襲ってくるのである。

「どうして奢ったんだろう…」

「1500円が無駄に消えてしまった…」

「他のものでも買えばよかった…」

などなど、たくさんのことが頭をよぎる。しかし、このような思いは決して本意ではない。
奢り慣れてないからなのか、元来こういうケチくさいタチなのかはわからないが、こういう声が心の奥底から聞こえてくるのである。

ここからはセルフトークとの対決だ。

正直に言っても私は奢りたくて奢っているはずだ。
ただ、どうしても奢ったあと家で1人になるとあれこれと考えてしまう。

そして、しまいには奢った人に対して感謝の言葉を求めている自分がいる。

あとにLINEで

「今日はありがとう!」

とこれば、ホッとしている。

あぁ、醜い…


こんなつもりで奢っているわけではないのに、なぜかこういう自分になっている。私が思う「私」と違う。もっと私はかっこいい「男」でありたいのだ。

それも含めて自分なのは認めるべきポイントではあるのも確か。


こんな私は他人に奢らない方がいいのだろうか?


もう一度奢った理由を考えてみると、

・その人との時間を共有できたことに感謝の意を込めて奢るっているということ。

・過去にたくさんの人に奢ってもらって嬉しかった。それを僕もつないでいきたい。


決して、無理矢理奢っているわけではない。
「自分」という目線で考えると奢るという行為はお金が減っており、確かにマイナスにも思えるが、これまでの人生や周りの方との繋がりを考えるとそれだけの恩恵を受けており、プラマイゼロなことに気づいた。


たぶん、損もクソもない。

世の中はうまくできているのかもしれない。



難しいことは考えず、思い切って他人に飯を奢ることができる人間が羨ましい。


次は見返りを求めず、その人のために奢れる自分を見つけたい。