必要性がないだけ。努力はすごくもなんともない。
学生の頃に試験とは関係なく単に英語が学びたくて英語の勉強を始めたつもりの僕でしたが、就職してからのこの3カ月、全然といっていいほど継続できておりません。
それくらいの危機感さえも持っていたんだと思います。だからもう努力が努力じゃなかった。やらないとヤバイから。
4月、5月は泊まり込みで研修があったり、帰宅してからも新しい人たちとの付き合いがあったりとのいいわけで
「まあ落ち着いてからまた始めればいいよね」
と真剣に取り組んできませんでした。
ところが、時間に余裕が出てきた6月から今日まで、全然勉強ができていません。平日は忙しいにせよ、休日にやり込もうと考えていても全くできません。
僕はほんとにこの数ヶ月びっくりしました。
「なんで努力続かないの??」
学生時代の部活では、学校でやらされるもの以外にも自分で決めた自主練はたくさんしてきました。続かないということもありませんでした。
よく物事を成し遂げられない理由として、意志の強さとありますが、もうそういう問題じゃないんですよね。
だって既にやる気ないし、まったく湧き上がってこないもん。(自分でもいま初めて認めました。)
目標なんてものは立てて、毎日努力すればいいだけの話。っていうそんな単純なものじゃありませんでした。
今までずっと努力できない人たちを見下してきた僕でしたが、僕も今はそういう人間です。
で、思ったんですが、努力って決して自分に対してストイックであるかだけの話ではないんですよね。
今の私には英語の勉強をする必要性がないんです。人間なんてのは必要性で動くんですよ。
あの頃は
「努力しなければ、レギュラーになれない。」
「レギュラーになれなければこの学校にきた意味がない。」
もっと大げさに言ってしまえば
「レギュラーになれない自分に価値はない」
周りをみてもそんな人って結構います。
「〜大学に入らないとヤバイ」
「資格をとらないと出世できない」
そういう〜がないとヤバイみたいな人が努力している場合が多いんです。
逆を言うと、中学んとき一つも勉強しなくて周りから「将来大変な目にあうよ?」とか言われていた友人は、それでも一つも勉強しませんでした。
その友人にとってたくさん勉強して、いい大学、いい企業には入ってお金をたくさん稼ぐ必要性など彼の人生にはないのです。
考えてみると今の僕の職種も英語が全く必要ないですし英語を勉強しなくても毎月給料が入ってくるので、実際問題生きていけるし、英語が出来なくて恥ずかしい思いをすることもないのです。必要性が全くありません。
僕は英語が好きだとずっと思ってやってきたんですが、やるなと止められてまでやるかと聞かれたらそうではないことを認めざるをえません。
私が思う人間を動かす動機というのは二つあって、
・必要性
・好き
だと思うんです。
必要性はネガティヴなマインドから出発しているイメージです。まさしく危機感です。
イメージとしては受験とか就職ですね。
「落ちたらやばいから、勉強しないといけない!」
こんな感じです。
ここでもう一つ動機として、好きというがあります。
これに関してはやるなと言われてもやらずにはいられなかったり、やって何の意味があるのかわからないのにやってしまうくらいの衝動があるものですね。
僕の中では…
子供の頃のゲームがパッと思いつきました笑
まとめ
もし、いま努力を続けられない人がいるとしたら今のあなたにはそれが心底必要だと感じていないだけ。卑屈になる必要はありません。
もう一度、それは本当にあなたに必要なものなのか?考えてみてください。
無理矢理、必要となる環境に身を投じるのもありかもしれませんね。
(引き続き勉強は工夫して続けたいとは思ってます(^^;;