LoseYourSelf

低学歴。非モテ。俺たちの逆転劇はここから始まる。英語と読書、恋愛、そして人生を。

学校は性の話を抜きに話を進めるからおかしくなる。

「今勉強しておけば、将来いい会社に入れて楽になるよ」

僕らはそう言われて育ってきた。人生はいかにしていい高校、いい大学、そしていい会社に入るか。幸せはそこにあり、子供時代は全ていい会社に入るための準備期間。

いい会社にさえ入れば、勝組となり、人生は楽しくなる。勝組になるためにはたくさん勉強しないといけない。多くの男の子、女の子が学生時代を勉強に費やしている。それが将来の幸せへの一番の近道だと思って。

学校が提示する価値観。それは「たくさん勉強して、大きな会社に入ることが一番の幸せ」

僕自身、大企業正義という価値観に異論はない。サラリーマンになるのなら大きな企業に入って、たくさんのお金をもらう方がいいに決まっている。

しかし、勝組と呼ばれる世界に入ったのに、なぜか人生はそこまで楽しくない。そんな人が大勢いる。誰もが羨むような学歴、会社名。もちろん毎日食う飯に困ることはない。仕事のやりがいもそれなりにある。

しかし、なぜだろうか。その心には埋まらない虚無感が残っている。

 

 

そう、性の話が抜け落ちている。

 

 

 

みな、いい大学、いい会社に入れば、自然と結婚もできて、暖かい家庭を築いて、トントン拍子でことが進んでいく。

そんなふうに思っていた。

 

ところが現実はそうではなかったのだ。学校はそのことを一切教えてくれなかった。性の話、恋愛を敬遠した。それらをタブーのカテゴリーにぶち込んでしまった。

これが学校教育が犯した一番の失態である。学校は人生でもっとも大切は性と金の話をないがしろにする。


思い出して欲しい。男子にとって好きな女の子と話している時以上に楽しい時間は存在するだろうか。そんな者はそうそういない。孫正義レベルでないと無理な話だ。

なのに僕らは、「人生で尊いことは何か目標に向かって努力し、達成すること。」そうやって勉強や部活動に打ち込まされてきた。僕も恋愛という浮ついたことより、そういうストイックに頑張ることに人生の意味があると思っていた。本当は勉強を頑張ったのも、スポーツを頑張れたのも、好きな子に振り向いてもらいたいからなのに。

僕らはずっと自分の正直な気持ちに蓋をしてきた。

 

しかし事は一転、ある時、いきなり荒野に放り投げられる。大人になると、もう誰も人生の価値観を提示してくれないのである。

「僕は恋愛がしたい。女の子にモテたい!」

自分の満たされない心の原因は異性と交わっていないから。そう気付くことができるだろうか。これを自覚できない人間がものすごく多い。

口先だけで「彼氏(彼女)欲しい〜」。これではまだまだ性の重大さに気づいたとは言えない。プライベート全ての時間をそこに当てるくらいの気概があって初めて恋愛の価値に気づいたと言える。

人間、本当の楽しさを知っていれば、何をしてでもそれを取りに行くものだ。

本能に蓋をしていると、ずっとわけのわからないモヤモヤとした気持ちと生きることになる。そういう人は、恋愛の代替手段として二次元やアイドル、ジャニーズにはまっていく。彼ら彼女らは恋愛がしたいという気持ちに向き合えていない。行動に移ってない時点で、まだまだメンタルブロックはやられている。

けれどそれは仕方のないことなのかもしれない。ずっと「人間は恋愛したくてたまらない生き物」だという事実に蓋をしてきたから。

今まで、学校の先生や親が良しとするレールに頑張って上手に乗ってきた。恋愛しなくても、テストの点は下がらないし、友達もできる。いじめられることもない。生活に全く不便しない。

「恋愛はしたい人がするもの趣味のようなもの」

このような位置付けが深刻な問題なのである。

 

 

だが大人になるにつれ、満たされない毎日。なぜだか生きる希望も湧かない。

蓋をしてきた僕らは、それでもとりあえず仕事を頑張ることが幸せへの近道だと仕事を頑張る。ここに来てまだ気づかないとさらに悲惨なことになる。

頑張れど頑張れど幸せはやってこない。満たされない何か。学歴やキャリアが上がるとき、異性に対する望みも上がる。ブスは嫌だとか、自分より低学歴はありえないと言い出す。年齢だけを重ね、求める相手のレベルはある程度高いまま。

恋愛をしないので恋愛の経験値が上がらない。恋愛の経験が乏しいまま、年齢だけが増えていく。悲惨なことである。特に女性において年齢はとても重要である。

 

 

どうして学校の先生は恋愛というものが人生で大きな割合を占めるということを教えてくれなかったんだろう。

ヤンキーやチャラ男は誰にも教わらずにそういうことを知っていた。

でも、僕ら非モテはわからないんだ。勉強や部活を頑張ることが、ただただ善だと思っていた....


今となってはみんなでバカにしていた高卒デキ婚のあの子の方が幸せなのかもしれない。


 

ここにきて、反論が聞こえてくる。

「恋愛をするのは人の勝手。やるかやらないか本人が選ぶだけ。「恋愛=幸せ」とかいう価値観を押し付けないで欲しい」


残念ながら、僕たちは生物なんだ。所詮、遺伝子の乗り物。恋愛に喜びを覚えるようにプログラムされている。どんに高尚な哲学や論理を僕に振りかざそうと、その喜びを知っている僕が聞き入れることはない。恋愛は全てではないが、切り離すことはできない大きなものだ。

 

勘違いしないでいただきたいのは、勉強より恋愛をすべきと言いたいわけではない。金をもらうために確実な方法である勉強は必須であろう。


僕が言いたいのは、なぜ学校は勉強と並行して恋愛の存在すらも教えてくれなかったのだろうか。

最低限でいいから

「人生の幸せにおいて恋愛が占める割合はかなり大きい」 

くらい教えてくれても良かったのでないか。

幸い、恋愛の喜び、価値を知ることができている僕は恵まれている。


しかし、それを知らないことで、真面目に頑張っているのに報われない人達がたくさんいる。

 

 

「自らの欲望と向き合い、恋愛しようと自ら行動する気概のあるやつでなければ子孫を残せない世界」

僕らはそんな厳しい世界を生きているのだろうか。