考えるために書く。書くために考えるのではない。
文章を書くということは、考えたことを書くという行為だと思っていた。
考えてから書く。何か考えがあるから、人はそれを文章にする。
「考える→書く」
当たり前すぎて、意識したこともない。
しかし文章をかく一番のメリットは考えるために書くことにある。
「書く→考える」なのだ。
「書く」という行為は、自分の頭の中にある思いを言葉に翻訳する作業だ。僕らが日々考えていることというのは、意外にもはっきりしていない。頭の中に駆け巡っているこのぼんやりとした思考や感情。
これを文字にするという作業は、とても難しい。この頭の中のカオスを文字にするという行為は、「翻訳する」という行為と同じだ。今の自分が感じていることを表現するには、どの言葉をチョイスするのが一番適切なのか。
また文章にする際、そこには、論理性の確立や、思考の整理など、様々な要素も絡んでくる。
この「書く」という行為を通して、僕らは初めて自分を知り、考えることができるのだ。
文字にすることで、自らの思考を客観的に観察することもできる。
私が「書く」ことを続ける理由の一つは、インプットしたことを身に付けたいからだ。
勉強もそうだが、本や、体験を通して、学んだことを憶える(理解する)一番の方法は、人に教える(伝える)ことだ。
人に教えるということは、初心者でもわかるように、より簡単な自分の言葉で伝えなければならない。
完璧に理解していない物事を、自分の言葉で、なおかつより簡単な単語を用いて説明することはできない。
学んだことをわかりやすいように自分の言葉に言い換える。
書くという行為はやはり、「翻訳」することなのだ。
僕も読書で学んだことをブログで書こうとするのだが、なかなかスラスラ書けない。
本を一冊読めば、著者がなんとなく言わんとすることはわかる。ただ、いざ文章にすると思うように書けない。
「すごくいい本だった」という感想しかないのだ。
この「すごくいい」というぼんやりとした気持ちに言葉を与えていかなけらばならない。
何が、どんな風にいい本だったのか。
物語の内容、魅力、欠点、ポイントを自分の中で整理、再構築してアウトプットしなければならない。
だから、「書く」というアウトプットの行為を通して、インプットしたことに対する理解がより深まる。
ブログや、日記を記すメリットはここにある。
自分の感情や思いに文字を与える。文字を通して客観的に観察することができる。
自分の理解度がよくわかるし、考えていることも整理される。
怒ったり、悲しかったりして自分の感情が不安定な時も日記を通して文字にしてみるといい。
頭の中のカオスに言葉を与えてやると、自分を客観的に見ることが出来、自然と気持ちも和らいでいく。
私は、考えるために、全ての人に書くという行為を進めたい。
出典