LoseYourSelf

低学歴。非モテ。俺たちの逆転劇はここから始まる。英語と読書、恋愛、そして人生を。

貧乏人が貧乏な理由 ベーシックインカム

poverty isn't a lack of character, it's a lack of cash

youtu.be

「貧困は「人格の欠如」ではなく「金銭の欠如」 

このプレゼンテーションでスピーカーが伝えたいのは

ベーシックインカムこそ、人類が幸せに生きる一番の方法」だということ。

その中で考えさせられた内容があるので、今回はそこを抜粋し紹介したい。

 

 

冒頭はこの問いかけから始まる。

Why do the poor make  so many poor decisions?

「貧乏人はなぜ、貧しい決断をするのか?」

ここでいう貧しい決断とは、

・運動をしない

・体に悪いものばかり食べる

・勉強しない

・貯金をしない

・ギャンブルする

そんなところだ。

恐れずにきつい言い方をすれば、貧乏な人というのは努力をしないから貧乏。頭がよろしくないから貧乏だと考えられている。要は自己責任だと。

僕も「金がない、金がない」と会うたびに口にする友人や知人を見ていて、それは感じる。

彼らは実際金のなくなる選択をしているのだ。

 

そんな使い方では、金がなくなるのも当然だろう。それをわからない馬鹿だから、金がないと思っていた。

 

 

 

しかし、スピーカーは主張する。

「貧乏な状況にいることが貧乏な決断を生む」

この主張には目を丸くした。貧乏な状況が先にあるのか?その理由は何だろう。

まず、金がないと生活に余裕はない。

金がない人は働く時間も自ずと長くなり、時間がない。お金がないぶん、やることも多い。サービスに払うお金がないからだ。

お金があれば、食事を作らなくてもいい。洗濯機を買って手で服を洗う必要もなくなる。

そしてお金がないこと上記のことが重なってより精神的余裕がない状態になる。人間は不安定な精神状態では、正しい選択ができない。考える力も減り、より悪い誘惑に惹かれるようになる。

実際に、農家を対象に収穫前と収穫後のIQをテストした実験がある。

収穫前:今年はまだ収穫できるかわかっていない不安定な状態

収穫後:と今年の収入はある程度決まった安定した状態

のIQを測定した。

一人の同じ人間でなんと、なんと14%も差が見られたのである。

 

だからスピーカーは訴えるのだ。

ベーシックインカムで国民の最低限の生活は保証してあげるのがいいと。

 

僕らは、弱者に対してはいつも自己責任論で説明する。

「あなたが悪いのは、あなたのせいですよ。」

しかし、実際生きていて本当にそうなのかな?という場面によく出くわす。

会社で上司に怒られてばかりの後輩がいる。

成長したいというマインドがないし、コミュニケーション力も明らか欠如しているのだ。

だが、僕はこの後輩に対して、きつくお前が悪いとは言えない。

僕が何事にも成長したいと思えるのは、小さな頃からのちょっとした成功体験があるからだ。それはスポーツであったり、勉強であったり、周りに些細なことで褒めてくれる人たちがいた。そしてもっと頑張ろうと思えた。そうするうちに努力の醍醐味を覚えた。

コミュニケーション力だって、たまたま身についた。体育会系だったから、うまく生き延びるためには、先輩に好かれるほかなかったのだ。

人間、全ての選択を個人の意思でしているわけでない。それなのに全てを自己責任にする人が多いように思う。それだと生まれや育った環境で一生が決まってしまう。

今回で言うところの、貧乏になると、貧乏のループから抜け出せなくなる。

 

だからこそ、ベーシックインカムはだからこそ素晴らしい政策だと思うし、解決策になり得る。

 

ベーシック・インカムとは、basic(基本的)income(収入)つまり政府が性別、年齢に関わらず条件で、すべての民に生きるのに必要な最低限の額を支給するという制度である。

最低限生活できるお金を保証されることで、貧乏だった人の心にも余裕が生まれる。 

 そこには変われるチャンスがある。素晴らしいことだ。

 

実際、僕らが努力できるのは、運がよかっただけだ。自分の力だけで努力しているなんて思わないほうがいい。育った環境のおかげだ。

世の中には努力することすら知らずに大人になった人がたくさんいる。

だから負の連鎖にいる人たちにも救いの手を差し伸べるのは普通のことなのではないか。(ベーシックインカムは税金で支払われる)

それともこの世界は運で全て決まってしまう、運ゲーでいいのか?

 

恵まれた環境にいる人は最大限活用し、世のために頑張る。還元する。僕はそんな世界を望んでいる。

 

人生が運ゲーだと認めるのは嫌だ。

 

 

Lose yourself.

 

 

 

 

モテない男のクリエイティビティには驚愕させられる

僕の友達には非モテが多い。

 

僕が非モテだから僕の友達には非モテが多いのか、非モテの友達が多いから僕が非モテなのかはまだわかってない。

 

 

非モテな彼らを見ていて思うことがある。(お前も非モテだろ)(うるせえ)

 

非モテは言い訳がうまい。恐ろしくうまい。

先生に怒られるのを回避する子供のごとく、その頭はものすごいキレを発揮する。

言い訳時における非モテと悪ガキのクリエイティビティは凄まじく、彼らを超える力をもつ種族はまだ発見されていない。

 

時折、非モテにアドバイスを求められる。

「彼女を作るにはどうしたらいいか」

非モテを志すものとして、僕は行動に移している。そこは彼らも認めてくれているのだろう。

恋愛工学戦士はリアルの世界では、その実体を隠すのが吉とされている部分はあるが、僕は信頼のおける友達には幸せになってもらいたい。だから、ある程度のことは話すようにしている。幸い、奇怪な目で僕を見ることはない。(既に見られているから問題ない)

 

僕はまず、女の子に慣れようということで街コン、相席屋、出会い系サイトをとりあえず活用することを進めている。

非モテではあるが、そこまでコミュ障でもなく、顔もいい彼らは、この辺からスタートしても全く問題ないレベルだ。

 

参照 

knt-united.hatenadiary.jp

 

 

しかし、ここで非モテのクリエイティビティを発揮する。

「料金が高い」

「俺イケメンでないからいいよ」

「どうせブスばっかやろ」

「出会い系とかどうせ詐欺」

「出会い方が不自然」

「今日オフモードやから行かない」

「多分バイトある」

「どうせみんなサクラ」

 

その他幾千もの行動しない理由を僕は聞いた。

彼らの言い訳をクリエイトする能力には凄まじいものを感じた。確固たる自信がそこには満ち溢れているのである。

「俺は悪くない。悪いのは周りの状況」

人類はこうして自らをも歪曲して理解し、自分を保つことで、生き延びてきたのだ。

 

 

 

冷静になろう。僕はそこまで難しいことを言っていない。

いきなり

「道で歩いている子に声をかけろ」

と言っているわけではない。

 

街コン、相席屋、出会い系サイト。そんなに難しいことなのだろうか?

これが難しいと感じるのならまだいい。

「恥ずかしいし、正直何を話していいかわからない。怖くていきたくない」

 

そうか。それは仕方がない。僕もその気持ちは痛いほどわかる。

そう言ってくれれば僕も街コン、相席屋で僕も同席してあげようと思う。少しでも場を盛り上げる手助けをしてあげたい。(僕も女の子のLINE欲しいし)

 

一回行けば割と余裕が出て変わるものだ。しかし初めてのハードルは確かに高い。だからその気持ちは仕方のないことだと思う。

僕の街コン初体験は、童貞二人で砕けに行った。

当時は悩んだ挙句、勇気を出してなけなしの給料から高い金(8000円)ってチャレンジした。

僕らの友情が途切れることは一生ないだろう。いい思い出だ。

 

非モテのクリエイティビティ。それは自分をも欺くことができ、自分を正当化することができる。

 

恋愛以外の実生活では割とうまく行ってきたのだろう。プライドは一丁前に育まれいる。自尊心を傷つけられたくないのだ。

だから、自分に自信がないこと、女の子が恥ずかしいこと、ビビっていることを認められない。

 

 

僕は言いたい。恋愛は自分の弱さを認め、受け入れることから始まる。これは辛い作業だ。

実際、恋愛は恥をかくことの繰り返し。僕も何度も打ちのめされてきた。

 

「恋愛したい」とは口でいいながらも、いつまで行動しない理由を他人や環境、外部のせいにするつもりだ?

 

 

やらない理由はいくらでもてくる。

しかし、行動する理由、すなわちやる理由は一つだ。

 

モテたい!

 

この「モテたい」という思い一つで、失敗を厭わずトライする同志のことを心から尊敬する。僕もそうありたいと思うし、負けられないと勇気をいつももらっている。

 

 

非モテの諸君。やらない理由はいくらでも思いつく。

それでもお前が行動を起こす理由はなんだ?

 

 

 

 

 

Lose yourself.

女の子との会話なんか慣れだ

会話、それはスポーツと同じ。

必ず上手くなる。

 

男子校出身の俺も会話が苦手だった。女の子と喋ることなく、青春時代を過ごしてきたんだ。全く何を喋っていいかわからない。

とにかく女の子と会話することにめちゃくちゃ苦労した。

まず、女の子を前にすると、めちゃくちゃ緊張する。

頑張って話題を見つけようと、色々話題を振っても全然盛り上がらない。

 

どうにかせねばと思い、コミュニケーションをハウツー本を読み漁った。

(読書はいつだって俺の道を開いてきた)

 

「会話の基本は相手に質問することです」

 

金言を見つけたと思った。

「そうか、俺は喋りすぎていたんだな。これからは質問してどんどん喋らせよう」

この時、初めて質問するという術を身につけた。

「出身は?」

「好きなものは?」

「学生時代の部活は?」

色々なことを聞いた。しかし結果は上手くいかなかった。

質問している内容に自体には、それほど欠陥はないはずである。

 

 

では何がおかしいのか。

質問が尋問になっていた。

質問さえすればいいと勘違いしていた。

「出身は?」

「好きなものは?」

「学生時代の部活は?」

この順番で質問すると、文脈がない。

 

まさしく沈黙を恐れているモテない男である。

 

そしてそこには、ぎこちなさが伴っていた。当時は本当に会話中に余裕がなかった。

 

沈黙を恐れ、次から次へと、喋ることを考えていた。

まさしく心ここにあらず。

 そして、間違った変なことを言う。家に帰って後悔する。

 

でも、今思えばそれが俺の練習になっていた。

 

断言できるが、女の子との会話は絶対に上手くなる。落ち着いて喋れるようになる。

あまり、考えずにポンポン喋れるようになるんだ。本当だ。

初めのうちは考えてぎこちないのも仕方ない。

俺たち非モテは無意識にポンポンと気の利いたことや、面白いことを言えるほど優れてはいない。そこは認めよう。

 

 

 

女の子と会話するときは、女の子モードに入る必要がある。言動の一つ一つに気を配るモードだ。大きな失敗は許されない。小さな失敗はすぐに察知し、早急にケアしなければならない。

そしてなおかつ、女の子にいかに気持ちよく喋らせるか。喜ばせるか。

言外には「僕はあなたのことを狙っています。友達になるつもりはありません。」というメッセージを含めなければいけない。

 

 

これは非常に疲れる作業だ。めちゃくちゃ頭を酷使する。家に帰れば一発でダウンの疲労だ。

しかし、問題はない必ず慣れる。経験を積めば、意識しなくてもできるようになる。

 

 

そもそも意識してやっているうちはまだまだ口説く事はできない。そこにはぎこちなさが残っている。

これはスポーツと同じなんだ。

 

 

スノボ初心者の頃、全身神経を集中させていた。ターンをしようと思えば、体重のかけ方、上半身の状態、色々意識しなければターンできなかった。

それでも、繰り返しやっているうちに何も考えなくてもできるようなる。

 

自転車なら皆が経験あるだろう。初めて補助輪なしで漕いだ時は、大変だったはずだ。

それが今、「しっかり漕ぎながらバランスを取ろう」と集中して自転車に乗っている人はいるだろうか?

そんな人はいない。みんな、スマホを見ながらでも自転車に乗れる。

 

人間は練習すれば無意識でできる状態になるのだ。

そのために練習するのだ。

 

だから、女の子との会話も必ずうまくなるし、無意識でいい会話ができるようになる。

 

 

無意識でできるようになると、意識を他のことに回せる。話題については、考えなくても無意識に浮かぶようになれば、意識を女の子そのものに向けることができる。

 

着ている服、アクセサリー、表情、リアクション、今まで見えてこなかったものが見えてくる。そして、何より余裕生まれる。

 

この余裕が男としての自信を生む。

一周して「話題なんかもうどうでもいいわ」ってなる。

 

 

 

だから、コミュ力どうこうの前にまずは、経験を積むのがベストだ。たくさん失敗するんだ。「なにを話そうか」と考えながら恥ずかしさ、気まずさと戦った経験は必ずあなたの力になる。LINEなんかのテキスト会話では上手くならない。

女の子にアポを取ろう。たくさん失敗しよう。

 

コミュニケーションの才能がないのではない。ただ、経験が足りないだけだ。

 

 

勝負していこう。

 

 

Lose yourself.

 

 

 

knt-united.hatenadiary.jp

 

 

 

 

転職する前にやること

「今の仕事はクソだから転職したい。」

 

僕も就職してから、1〜2年間ずっとそう思っていました。仕事は面白くないし、やりがいもない、会社の人とは気が合わない。酒を飲むといつも「ゼッテー辞めてやる!」って言ってました。笑

 

今回は転職する前に、一瞬でいいんで立ち止まって読んでみてください。

 

 

仕事を辞めたい理由は?

「今の仕事は僕のやりたいことではない!」

「大学院まで出たのに雑用ばかりでありえない」

若い方で転職を考えている方の大半はこの理由でしょう。

 

ここで、ちょっと考えて欲しいのです。

 

 本当に業務内容が嫌であなたは仕事を辞めたいのですか?

 

人間関係が上手くいってないことと、仕事が面白くないということをごっちゃにしている人って結構いますよ。

人間関係が良いいのに転職を考えている人って少数です。

逆に言うと、人間関係が転職したい一番の理由。

 

今、どんな人間関係でしょうか。

「本音で話せる人がいない」

「嫌いな人が多い」

「居心地が悪い」

「全然認められない」

 

これだと業務内容以外に原因がありそうです。

 

 

人間関係は運ではない

人間関係をうまくやる努力はしましたか?

どうも人間関係って、運だと思っていまいますよね。

そりゃ世の中これだけの人がいれば相性の合わない人はいます。

でも、人に好かれる方法というのも存在します。人に好かれるのはたまたまではなく、その人なりに好かれる行動をしています。

 

 

あなたは今、実際好かれていますか?

また、自分から好きになる努力はしましたか?

 

人は好き嫌いで物事を判断します。これはもう認めるしかないのです。いくら仕事ができようと好かれていなければ上司からの評価は上がりません。人から好かれる能力というのは、勤め人にとって一番と言っても過言でない能力です。

 

 

頑張っているのに評価されない

そんなあなたは真面目で仕事もできるのだと思います。ここは少しだけ、視点を変えて頑張る方向を変えてみませんか?

人が好き嫌いでものを見るのは仕方のないこと。これはもう仕方のないことです。

「ものごとを好き嫌いで判断するのはおかしい!」と正論もいいですが、そんなことに怒るエネルギーがせっかくあるなら、割と簡単な方へむけましょう。

仕事そのものに向けてるエネルギーを少しだけ、人間関係を円滑にする方に分配するのです。

積極的に上司と雑談したり、飲み会に行くのもいいし、趣味を共有するのもいいでしょう。打ち解けた関係になる努力はしてますか?

 

雑談ができるような信頼関係を築くと、認められる回数も増えます。

また、多少仕事はできなくても、人間関係がうまくいってれば、仕事はなぜかうまく回ります。

 

 

 

 

まとめ

「上司にペコペコするのはダサい」

こう思ったとしても、人間関係は一生どこにいこうとついて回ります。勤め人であればなおさらです。

転職したい人の中には、する必要のない人もいます。

 

せっかく慣れた仕事。今から面白くなるかもしれないじゃないですか。

そこでまた一からスタート。新たな人間関係や業務体型、会社の細かいルール。転職はストレスにもなります。

 

それでも転職したい方。

もう一度、自分が今の会社が嫌な理由を冷静に分析してください。そして、その原因も考えてください。

それが転職する前にやるべきことです。

「人間関係がうまくいってないこと」という理由を「自分の好きなことではない」という理由に履き違えると、次の会社でも苦労します。

また、人間関係に悩むことになるからです。

でも、自分は人間関係が原因で前の会社が嫌だったと分かっていれば、次はそこをケアしていけばいいのです。リセットされるのでまた一から始められますしね。

 

最後に、一番伝えたいのは、なんで辞めたいのかを見つめ直して欲しいということです。今回は、原因の大半は人間関係だ!みたいな言い方をしました。でも、給料、場所、勤務時間、健康、理由は色々あると思います。

まずは、辞めたい理由を明確にしてください。

そして、それが対処可能なことなら、辞めずに対処できればベストではないでしょうか?

 

 

アドラーの言葉を借りましょう。

人生のあらゆる問題は、対人関係の問題である。

 

 

 

Lose yourself.

「好きなことをしよう」という圧力

「好きなことをして生きよう」

 

最近よく耳にする。

この「好きなことをして生きよう」というセリフは新時代の幕開けを感じさせる。

しかし、同時に多くの若者を困らせている。

 

実際に好きなことをして生きている人はどれくらいいるのか。

僕の周りを見ても、彼らが言う「好きなこと」を職業にしている人はいない。

そもそも皆、「好きなこと」がない。

 

みんな、読書や運動、勉強の習慣はなんてない。好きなことで副業をやろうなんて気もさらさらない。

プライベートはテレビ、パチンコ、酒飲み、映画、たまった録画番組をみる。まあそんなとこだ。

僕はこんな人たちをバカにしようとは思わない。底辺出身の友達だけでなく、今いる会社の高学歴な人たちも基本こんな感じだ。

 

好きなことをして生きている人にとって、そんな人たちは一見不幸に見えるのだろう。

確かに仕事に面白みはかけるかもしれないが、それなりの給料はもらえる。残業も少ない。友人、恋人もおり、家族がある人もいる。

 

そんな暮らしの中に「好きなことをしよう」がやってきた。こいつが、いわゆる普通の暮らしをしていた人を困惑させている。

 

好きなことをしていない人生=クソ、他人の人生、古い、充実していない。

 

そんなふうに聞こえるのだ。

 

 

 

今までは、社会人の価値観というのは割と画一的なものだったと思う。

会社に入って、家に変えればテレビをつけ、酒を飲んだり、パチンコをする。休日はゴルフや釣り。女や仲間と遊ぶ。(僕はどれもしない)

そして年齢が経てば、結婚して幸せな家庭を築く。

それが人生の幸せ。ある種思い込みではある。僕の地元の田舎ではそんな人生のモデルで生きている人は、めちゃくちゃたくさんいる。つーかほぼ全員だ。

 

それはそれでいい。幸せとは適当なもので、自分が幸せと思い込めば幸せなんだ。上を知るから自分が不幸になる。

 

 

インターネットが特に「好きなことをして生きよう」に拍車をかけている。

これまでにも、誰がどう見ても幸せそうな人たちというのはいた。

しかし彼らは自分たちとは別の世界の住人だと思えた。だから自分と比べることもなかった。

プロ野球選手がすごい金持ちってのを知って、あんまり嫉妬や不幸を感じる人はいないと思う。

「自分には届かない夢の世界の人たち」

そう割り切れていた。

 

 

ところがどっこい、今はそこらへんにいる一般人が成功している。

しかもこれまでの幸せのモデルとは違う生き方で。

そんな彼らをみて、

「俺は別に好きなことが仕事ではない。上司に毎日怒られるし、数字も全然あがらない。果たして俺は幸せなんだろうか?」

そうやって不幸になる人がいる。

 

僕はYoutuberやブロガーをあまり一般人だとは思わない。よく、誰だってできる時代という人がいるが、現実の大衆はもっとレベルが低いことを知った方がいい。

これは底辺出身でないとわからないかもしれない。

 

大衆に「好きなこと」なんてないのだ。そして行動する力も。

これは当たり前な話だと思う。勉強や部活ににしろ、ずっと、言われたことをやって生きてきたのだ。

目標も、目標達成までの道のりも誰かが考えてくれてきた。

そんな彼らに好奇心はない。勉強部活以外はテレビやスマホ、向こうからやってくる情報だけで構成されてきた人間。自分から情報を取りに行く力はない。

それを急に、大人になって「好きなことをしましょう!」としても無理な話だ。

残酷だがこれが現実。

 

そんな行動の仕方わからないのに「好きなことして生きよう」という世間の風は感じる。説かれれば説かれるだけ不幸を感じる。

 

休日だけをとっても、

「休日は何か生産的なことをしなくてはならない。何もしない休日は悪。なんとかして充実させなくてはいけない。」

世間の煽りはこのように感じさせる。

 

これでは休日もまるで仕事のようだ。

 

「好きなことをして生きようから」が「好きなことをしなくてはならない」に聞こえる。

 

 

これまでは何もしない休日に不満を感じることはなかったのに。

 

 

だから、今の社会の「好きなことをして生きよう」という風潮に疑問を感じる。

好きなことがあること自体、それは才能であり、恵まれているんだ。好きなことをがない状態から、意識的に好きなことを探して、好きなことをしている人はすごく少ないのではないだろうか。

好きなことがマッチしている人はほぼ偶然のくせに。

 

ほとんどの人は、幸せというのをどこかで妥協点を決めて生きている。

 

確かにサラリーマンとして働くのは、Youtuberやプロブロガーな人の人生と比べたら、好きなことではない。

だが、そこで満足するはずだった人はたくさんいるのだ。

「まあこんなとこでいいだろう」

というふうに。

 

それを

「好きなことをして生きよう」というフレーズは妥協するラインを上げてくる。

「あなたの人生それでいいの?」って。

 

いいんだよ馬鹿野郎。そもそも大衆は人生をそんな大げさに考えてはいない。毎月の給料と毎日のビールあればそれで満足なんだよ。

 

みんながみんな野心を持って、人生を素晴らしいものにしたいと考えてはいないことを知ってほしい。

 

 

 

 

LINE交換 それは束の間の成功

つい先日の華金のことである。 

 

前の週は坊主に終わっていたので、LINEを3つゲットできた僕は舞い上がっていた。

つい先日にストリートで出会ったいい女とはゴールした後、連絡はないのでなおさらだった。

 

 

 

そもそも今回の目的はLINEゲットと決めていた。

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これまでは飲み打診を中心に即ゴール狙い一本だった。

しかし今回は非モテコミットを目標に、Lゲに専念することにした。複数の女がいれば、一人の女に夢中になることはない!そう考え、実行に移した。

 

 

 

声掛け開始

 

「僕と15分だけでも飲みません?」

「無理、帰る」

「わかりました。じゃあ今度飲みましょうよ。」

「え〜」

「とりあえずLINE交換で。QR出して!」

 

だいたいこんなやりとりをベースにLINE集めに徹した。

結果は12声掛け中、3LINEゲット。まだまだ初心者の僕にとっては嬉しかった。ガッツポーズしていた。

「3人もいれば、1人くらい来週ご飯いけるだろうな〜♩」

交換してくれた子は、皆まんざらでもない様子で、食いつきもわりとあった。(勘違いだった)

LINEがゲットできたので、その日はウキウキしながら帰路に着いた。

 

次の日、いきなり打診するのも早いかと思い、一言挨拶入れておこうと軽くLINEを送った。

「お疲れ様」

「無事帰れた?笑」や「急に話しかけてごめんね笑」

と送った。

 

このLINEがまずかったのだろうか?

すぐに日を指定してアポを打診すべきだったのか?

 

 

結果、既読無視である。

 

 

 

 

パターンを変えようと思い、もう一人には

「昨日はありがとう」←(何がありがとうなのかは定かではない)

「来週の木か金のどっちか飲みにいかない?」

 

結果は未読無視である....

 

世知辛い世の中である。

僕のちょっとした成功さえも、女の子は束の間の喜びしか味あわせてくれないのか....涙

 

悔しい。悔しすぎる。

初めの頃は、地蔵に悩んだ。地蔵を克服できたと思い、次は連れ出しからのホテルに苦労した。(今もしているが)

ある程度、飯アポさえ取れれば、ゴールの自信は付いてきていたので、LINEさえゲットできれば余裕だと考えていた。

 

LINEをゲットしてなおも、ボールを持たせてもらえない状況でゲームを進めていかなくてはならないことを思い知った。

 

 

 

 今は、自分を慰めるために、同志、諸先輩方の言葉にすがりたい

https://twitter.com/August_Mikaduki/status/924136140638011392

 

次回に向けて

・LINE交換した際、スタンプだけでもいいから、一回やりとりをする。

一度LINEを交わしたという既成事実を作る

・LINEゲット後にも会話をする。

LINE集めだけが目的のようなゲスい男だと思われた。和みも不十分だったのかも。

 

 

Lose yourself.

 

Fail first 失敗への恐怖は時間をも奪う

「失敗したらどうしよう.....」

 

失敗は怖いものだ。俺たちはいつも失敗することを怯えている。失敗する前に、そのことについてたくさん悩む。

 

この「失敗に悩む時間」っていうのはものすごく人生を無駄にしている。

 

 

 

 

失敗に悩む時間。それはまだ何も起きていない時間だ。

何も起きていないから、次の行動ができない。

たとえ結果はダメでも、失敗する前のフィードバックのない状態は、次への対策もたてられない。成長がない。

そこにいるのはただ無意味に頭を抱えている自分。

 

「失敗したらどうしよう」

「上司に怒られたらどうしよう」

「無視されるんじゃないか」

 

 

 

俺も街に出たのに女の子に声をかけられず3時間ないもせず悩んだりしている。

 

 

 

そんな俺たちに大切なのは 

Fail first

心配よりも先に失敗だ。

 

誰にでも経験があるはずだ。不安だったけど、実際やってみると全然大したことなかったこと。

それにこの際断言する。俺たちは確実に失敗する。

だから悩むこと自体意味がないのだ。失敗は決まっているから。

それなら先に失敗した方がいいのは自明だ。悩む時間も減るし、フィードバックを元に次にいける。

Fail firstな奴は何事においても成功する。

うじうじ君とは成長スピードが桁違いなんだ。

 

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完璧な準備?そんなものはいつだって不可能だ。僕らはいつも未完全なまま本番を迎える。

そして失敗をし、そこから学び、完璧に近づいていくんだ。

 

完璧な会話の流れを用意してから、女の子に話しかけようとしてないか?

やめておけ。無理だ。絶対に無理だ。

心配しなくても、話しかけた瞬間、考えていたことは全て吹っ飛ぶ。

それよりも大事なことは失敗から雰囲気、感覚を掴むことだ。そして己の実力を知ること。

 頭の中で作り上げた恐怖と現実ってのは全然違うということがわかる。

 

 

 

そもそも僕らは恐怖を多く見積もりすぎる能力が備わっている。旧石器時代は、恐怖に敏感なやつが生き残れた。ささいなことも死へと繋がりかねない時代だ。少しの不安に敏感になる能力は役に立った。

 

しかし、僕らの時代は違う。

失敗して命を落とすことはない。この失敗を怯える能力は無駄だ。

会議のプレゼンで失敗しただけで、死ぬのか?

女の子に声をかけただけで死ぬのか?

今の時代は失敗に鈍感で失敗しまくる奴が成功する。

 

もう一度言う。失敗してから悩むんだ!

 

失敗する前の悩みはゴミ。失敗した後の悩みは金。

 

 

 最後にプリズンブレイクの言葉を借りよう

 

「子どもの頃、夜眠れなかった。クローゼットにモンスターがいると思ってて。
兄貴に言われたよ、クローゼットに潜んでるのは恐怖だけだって。恐怖は実在しない。
それは何者でもないただの…空気。いや、空気ですらない。だから向き合うだけでいい。
思い切って扉を開ければ、モンスターは消える、と。」 

 

Lose yourself.